ロシアがウクライナに大規模侵攻を始めてから3年が過ぎようとしている。戦争は多くの人びとの人生を大きく狂わせている。では、この侵攻を始めた本人はどうだろうか? 「戦争であなたは変わったのか?」 プーチン大統領に直接そう質したのはプーチン氏のことをよく知るロシア人記者だった。プーチン大統領は少し戸惑ったように見え、「ほとんど笑わなくなった」と答えた。 このやりとりは “いまのプーチン氏”を理解し、そしてロシアはどこへ向かうのかを探るカギとなる。 2024年12月19日モスクワ、赤の広場の向かいに建つ広大なコンベンションセンター、ゴスチーヌイ・ドボール。普段、さまざまなイベントが催されるこの場所にこの日、プーチン大統領に直接質問をする1年に1度の機会を得ようとロシア全土から記者たちが集まっていた。 ロシア大統領府によるとおよそ500のメディアが登録され、欧米や日本など非友好国の記者もわずかに入っている。 記者たちはプーチン氏の目に止まるようさまざまな趣向を凝らす。プーチン氏の好みの真紅のスーツで決めた女性記者たちや目の覚めるような民族衣装に身を包んでいる記者も目立つ。
民族衣装の質問者 この記事の写真は6枚 記者会見は予定の12時半を少しまわったころに始まった。 最初の話題は戦争ではなかった。 公式統計でも9.8%という急激に加速し続けるインフレは、経済の崩壊に向けた不気味なステップを刻み続けているようで、多くのロシア人が漠然とした不安を抱えている。 プーチン大統領は国民の不安を払しょくしようと「ロシアの経済状況は正常かつ安定している」と豪語する。 「インフレは不安でしょうが、それ以上に給料が上がっているので心配しないでください」 しかし、現実はプーチン氏が思い描くのとは違う。司会者は、実際に国民から寄せられたインフレに関するさまざまな声を紹介していく。 「給料は確かに上がっていますが、価格の上昇に追いついていません」 プーチン大統領は、賃金上昇が追い付いていない地域もあるかもしれないが、将来的に改善すると強引にその場を強引におさめた。 どんな質問が出てきてもプーチン氏は、自らの政策は正しいということだけを繰り返し、ロシア人はただそれを受け入れるしかない。 ■退屈な記者会見を変えた質問
会見で答えるプーチン大統領 こうしたやりとりを、会場の固い椅子に座ってずっと聞き続けていると集中力は続かない。2時間ほど経過したあたりから質問者用のマイクを運ぶ女性スタッフは、プーチン氏の長い回答の間、椅子に座って足を放り出し、あくびをかみ殺している。 3時間半近くが経過したところで、司会を務めるペスコフ報道官は有力紙「コメルサント」のアンドレイ・コレスニコフ記者を指名した。 コレスニコフ氏は、プーチン氏からは遠く離れた上手の後段に席からこう質問した。 「ウラジーミル・ウラジーミルビッチ(プーチン大統領の父称)、戦争からほぼ3年が過ぎました。この間に私たちは誰もが、大きく変わりました。戦争はすべての人を変えたのです。あなたの中では何かが変わりましたか?自分自身で気付いていることはありますか?」 ■「順調と言えるのか…」地方の女性との会話質問を聞いて「はっ」とした。 モスクワの東およそ700キロに位置するチュバシ共和国を訪れた時のことだ。 ただ、ロシア語ではない。全く聞きなれない響きの言語だ。 順番が回ってきたとき、売り場の女性に尋ねた。 「いま話していたのはチュバシ語ですか?」
看板はチュバシ語(上)とロシア語(下) マリーナさんというその女性は、外国人が興味を持ってくれたのがうれしかったのか、ぱっと華やかな笑みを浮かべた。 「そうです。美しい響きでしょ。ただ、もう孫の世代は話すこともなくなってきたので、少し残念ですけど。そのぶん、チュバシ語を知らない人の前では、『秘密の会話』ができるの。素敵でしょ。あなたはどこから?」 この会話をきっかけに世間話になったので日々の生活について尋ねてみた。収入はモスクワよりも格段に少ないはず。急激なインフレに直面しているが生活は大丈夫なのだろうか? 「インフレは大変です。ただ、モスクワほど激しくはありません。わたしが買うものといったら食料品くらいですが、それもまだスーパーの棚に並んでいますので、問題はありませんよ」 輸入品は減り、あらゆる商品の価格は高騰しているが、深刻な品不足に陥っているわけではない。つつましい生活を送っている限り、大きな変化に直面していることはないようだ。 「では、すべて順調なのですね?」 何気ない相槌のつもりだった。しかし不意にマリーナさんの表情が固まる。 「順調…順調といえるのでしょうか…」 「どういうことですか?」 マリーナさんは、とても小さく、ささやくように言った。 「息子が前線に行っているのです」 それ以上は多くを語らなかった。 戦争に反対したり、プーチン政権の意向に反していると受け取られたりすれば、ロシアの安定を脅かそうとしているとして、弾圧の対象になる。だから多くの市民は、戦争について触れること自体を避ける。 息子が戦争に行っている不安や悲しみの気持ちを人に伝えることすら許されない。そんな同調圧力がロシア全土に暗い影を落としている。 街頭でインタビューをしても「ニュースは見ないことにしているのでわかりません」と答える人がほとんどだ。それがこの国で身を守る唯一の手段なのだ。 ■「何か変わったか」プーチン氏の答えは?
全国から記者が集まった コレスニコフ氏の質問に話を戻そう。彼が質問したように、戦争はすべての人を変えた。 マリーナさんのように、一見、戦争前と変わりないような生活を送っているロシアの人たちも、心の内にはさまざまな葛藤を抱えている。厳しい抑圧によりそれが社会の表層に現れていないだけだ。 コレスニコフ氏の質問は、こうしたロシアの状況をオブラートに包んで指摘しているようにも聞こえた。プーチン大統領はどう答えるのだろうか? 「もちろん私たちはみな、変化しつづけます。毎日、毎時間変化しています。その場にいる人たちも、聞いている人も、見ている人も変わっていくと思います。それが人生です。すべては流れ、すべては変化します」 まるで空虚な言葉の羅列は、持ち合わせていない答えを話しながら自分自身で探っているようだ。 その声は、会場の後方では聞き取りづらいほど弱々しかった。あとでロシア大統領府の映像で確認すると、ピンマイクが声を拾っているのではっきりと喋っているように聞こえるが、実際の声はとても小さかった。 プーチン大統領は、「戦争があってもなくても人の人生は変わるものだ」というロシア人を突き放すかのような発言を途中で軌道修正する。 「この3 年間、いや2 年以上、もちろん私たち全員にとって、国全体にとって、そして私にとって、それは深刻な試練でした」 そしてこう続ける。 「率直にいいましょう。私たちは今ここで冗談も言っていて、ホールには笑い声が響きます。しかし私は冗談を言うことが減り、ほとんど笑わなくなりました」 ■「人間プーチン」を見続けてきた記者
コレスニコフ氏らが手掛けたプーチン氏の最初のインタビュー この答えをどう受け止めればいいのだろうか? そもそもなぜ、「戦争であなたは変わったのか」とプーチン氏に尋ねたのか、コレスニコフ氏に確認したかった。というのも、コレスニコフ氏は25年前、当時無名のプーチン氏が大統領に就任した直後に長時間のンタビューを行っているのだ。 インタビューは1度に4時間、合計6回行われ、プーチン氏はKGB時代の話に留まらず、両親のことや、貧しい少年時代には棒でネズミを追い回す遊びに興じていたエピソードなどプーチン氏という人物を探る手掛かりになるエピソードを多く語っている。 つまりコレスニコフ氏は、25年前から「生身の人間」としてプーチン氏を見続けてきたのだ。 記者会見の終了後、群衆の中でもコレスニコフ氏はすぐに見つかった。薄手のパーカーにジーンズというその場にまったく似つかわしくないでたちは、逆に目立つ。神経質そうな面持ちでプーチン大統領がまるで別人のよう見えたのだと話してくれた。 「今回の記者会見はこれまでになく、単調でした。私たちの目の前にいる大統領は、これまでとはまったくの別人のようでした。なぜそう見えるのか、会見の冒頭からずっと疑問に思っていたのです」
コレスニコフ氏 では、プーチン氏の答えはどう受け止めたのだろう? 「あの答えは『非公式』なものだったと思います。『冗談を言うことが減り、ほとんど笑わなくなった』という答えを聞いて、なぜ目の前にいる大統領が別人のように感じたのか、その謎が解けたと思いました」 「非公式」というのは、事前に用意された「公式」的なものではなく率直な気持ちということだ。だからコレスコフ氏は、プーチン氏が笑わなくなったというのは、嘘偽りではないだろうと考えている。 ■「救世主」を自認するプーチン大統領一方、プーチン氏は自分の決断と行動の正しさについては、どのような角度からの批判にも即座に反論し続けた。 たとえば、4時間以上が経過したころに順番が回ってきたBBCロシアのローゼンバーグ編集長の質問だ。彼はプーチン氏が権力を譲り受けた1999年の大みそかの日にさかのぼって質問した。 「ちょうど25年前、ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン(元大統領)が辞任した際、あなたに『ロシアを頼んだ』と言いました。しかしいま、あなたが始めた“特別軍事作戦”では多大な犠牲を出し続け、ロシア西部クルスク州にはウクライナ軍がいます。制裁やインフレ、人口問題に見舞われています。それでも、あなたは自分がロシアを守ってきたと思いますか?」 プーチン大統領の反応は素早かった。 質問が終わる前に「ダー!(=イエス)」と強い口調で答えた。 そして続ける。 「私は単に守ってきただけではない。奈落の底から引き戻したのだ。ロシアが独立した主権国家であり続けるよう、全力を尽くしているのだ」 プーチン氏は、西側諸国は都合のいいようにロシアを利用していた。そこからロシアを独立した国に導いているのだと主張する。その言いぶりは、まるで自分はロシアの「救世主」だと宣言しているようだ。そしてプーチン氏は、そう自分自身に言い聞かせているようだった。 ■笑わなくなった「救世主」およそ2年ぶりにプーチン氏と電話で話したドイツのショルツ首相が「プーチンの戦争観は全く変わっていなかった。良くない兆候だ」と述べたように、プーチン氏は自らの思い描く歴史の世界に、この3年間でますます没入している。 最大の問題は、足元の国民の変化に気づいていないことだ。 コレスニコフ氏の質問に戸惑いを見せたプーチン氏だが、戦争がウクライナだけでなく、ロシア人々の人生までも大きく変えてしまっていることを気にかけている様子はない。 「笑わなくなった」というのは、傷ついている国民に寄り添っているというよりも自分の歴史観が共有されないことにいら立ちを深めているように見える。 皮肉にも、プーチン大統領は「ロシアの救世主」だとの自認を深めるほどに、国民との乖離が深まっているようだ。 ふとこんな考えがよぎる。 今もロシア中で、100を超えるともいわれる少数言語で、“笑わなくなった救済者”に対して不都合な「秘密の会話」が交わされていたりはしないだろうか。 もしプーチン氏が、本当に国民に寄り添っているのであれば、自身の変化は“笑わない”どころでは済まないだろう。
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